てんぐのかくれみの
●日本むかしばなし
「てんぐのかくれみの」について
「てんぐのかくれみの」は、九州・熊本地方に古くから伝わる〈とんち話〉『彦一ばなし』の中のお話です。
〈とんち話〉は、人間の持つ知恵や才能、ユーモアを主題とした話で、徳川時代のはじめごろに生みだされたといわれます。この本の主人公〈八代の彦一〉のほかに、豊後の吉四六さん・土佐の半七さんなど、その土地土地に主人公が存在しています。それから有名な一休さんや曽呂利新左衛門などがいます。
さて『彦一ばなし』には、二つの大きな特長が見られます。その一つは、この本の冒頭で述べた〈大岩を地に埋める〉という発想、すなわち〈現実に即した合理性〉であり、一つは、この本では紹介できませんでしたが、「槍の試合」という話の中で、〈槍の先生と試合をすることになった彦一は、野良着を着、肥びしゃくを構えて、こう言います。「これが私の槍です。たんぼで使うから、たんぼ槍です。」「臭くてかなわん!」と先生がいうと、彦一はすかさず「このたんぼ槍のおかげで、米も野菜も実ります。どうぞ百姓を大切にして下さい。」と頼むのです。〉このように、百姓である彦一が常に自分の立場を忘れずに、考え・行動していることです。これらが『彦一ばなし』の基礎といってもよいでしょう。
「てんぐのかくれみの」は『彦一ばなし』の中でも〈彦一の失敗〉を扱った特異な話といえそうです。ここでは〈とんち〉よりも、彦一の子供としての〈いたずら〉が主題になっており、結末での、頭をかきかき退散してゆく彦一に対するおとな達の寛容さが、話全体をほほえましくしています。また子供に対するおとなの観念と、おとなに対する子供のそれとが対比され、その中間に〈かくれみの〉に寄せる人々の願望や夢がまざりあっているのも興味深いところです。
(秋 晴二)
ぶん:あき せいじ
え:いわもと としあき
画材:透明水彩
編集プロデュース:酒井義夫
むかし あるところに、ひこいちと いう とんちの うまい こどもがいました。
あるひのこと。
ひこいちが むらはずれに さしかかると、ちゃみせの まえで、おおぜいの ひとが さわいでいます。
みると、みちの まんなかに、おおきないわが ころがっているのです。
ゆうべの あめで やまが くずれ、ころがりおちてきたのでしょう。
「よいしょ!」
「よいしょ!」
いわを どかそうと、みんなは けんめいに おしています。
けれども、いわは びくとも うごきません。
「こまったなあ……。」
「どうしたら よいだろう……。」
みんなは、ためいきを つきました。
ちょうど そこへ、みるからに つよそうな さむらいが とおりかかり、
「わしが はこんでやろうか?」
と いうのです。
「それは ほんとうですか?」
みんなは、うれしそうに いいました。
「ほんとうさ。わしは、二十にんまえの ちからもちだからのう。
だが、いまは はらぺこなんじゃ。
いわを はこんでやる かわりに、はらいっぱい めしを くわせてくれ。」
「そんな ことなら、おやすい ごようです。」
みんなは、さむらいを ちゃみせに つれてゆきました。
ごはんを たべおわった さむらいは、いわの まえに しゃがんで いいました。
「さあ、いわを せなかに のせてくれ。」
「そんな むちゃな!」
「なにが むちゃなものか。
わしは、いわを はこんでやると いったのだ。
せなかに のせられないのなら、はこぶのは やめだ。わっはっはっは……。」
ひどい さむらいです。
はじめから、ただで ごはんを たべるつもりだったのです。
みんなが こまっていると、いままで だまって この ようすを みていた、ひこいちが いいました。
「みなさん、ちょっと おてつだいしてください。」
ひこいちの ごうれいで、みんなは いわのまえに、おおきな あなを ほりました。
「さあ おさむらいさん、あなの なかに おりてください。
せなかに、いわを のせますから。」
ひこいちが いいました。
おどろいたのは さむらいです。
「ま、まってくれ! この いわを のせられたら、わしは ぺちゃんこじゃ!」
さむらいは、あおくなって あやまりました。
ひこいちは、わらいながら いいました。
「この あなに、いわを おとしましょう。
うえから つちを かぶせれば、みちは もとどおりに なりますよ。」
「なるほど、さすがは とんちひこいちだ。」
みんなは、すっかり かんしんしました。
こんな わけで、ひこいちの ひょうばんは、ますます たかまりました。
でも、どんなに とんちが あっても、まだ こどもです。
あるひ、きゅうに いたずらが してみたくなりました。
「そうだ! てんぐやまの てんぐどんは、かくれみのと いう たからものを もっているそうだ。
そいつを、だましとってやろう!」
そう かんがえたのです。
ひこいちは、さっそく ひを おこすときに つかう、ひふきだけを こしに さし、てんぐやまへ のぼってゆきました。
「おっ、おえどが みえるぞ!
にぎやかだなあ、おまつりだ!
それ、みこしだ わっしょい!」
てんぐやまの てっぺんの、まつのきの ねもとに こしかけて、ひこいちは おおはしゃぎです。
ひふきだけを めに あてて、
あっちを みたり、こっちを みたり……。
そのうち ひこいちの うしろで、
ばさばさっ!
と、おとが しました。
ひこいちの こえを ききつけて、てんぐが やってきたのです。
〈ははあ、てんぐどんが きたな……。〉
ひこいちは すぐに きづきましたが、わざと しらんかおです。
「おっ、こんどは きょうの まちが みえるぞ!
おや、これは たいへん!
きょうの まちは、おおかじだ!」
てんぐに よく きこえるように、わざと こえを はりあげます。
「こりゃ、こぞう! なにを しているんだ?」
とうとう、てんぐが はなしかけてきました。
「みれば わかるじゃないか。
おえどの まちや、きょうの まちを けんぶつしているんだ。」
ふりむきもしないで、ひこいちが こたえました。
「けんぶつだと?」
「そうだよ。これは せんりがんと いってね、どんな とおくでも みえるんだ。」
「それは すごいな!
わしにも みせてくれ。」
「だめだめ、これは ぼくの たからものなのさ。」
ひこいちに ことわられると、てんぐは、ますます のぞいてみたくなりました。
「それじゃあ、かくれみのと とりかえよう。
これを きると、すがたが みえなくなるのだ。
わしの たからものなんだぞ。」
ひこいちは、こころの なかで、しめたと おもいましたが、わざと しぶしぶ いいました。
「それほど いうんなら しかたがないな。
とりかえてあげてもいいよ。」
「それは ありがたい!」
てんぐは、よろこんで かくれみのを わたすと、いそいで ひふきだけを めに あてました。
ところが、みえるのは そらの くもと、ふもとの むらの やねばかり……。
「こりゃ、こぞう! おえどや きょうの まちなんて、まるで みえないじゃないか!」
てんぐは、あわてて ひこいちを さがしました。
けれども ひこいちの すがたは、どこにも みえません。
かくれみのを きて、すがたを かくしてしまったのです。
「うーん、わしを だますとは、けしからんやつだ!」
てんぐは、じだんだ ふんで くやしがりましたが、どうにも なりません。
さて、こちらは ひこいちです。
〈ははは、うまく てんぐどんを だましてやったぞ。
さあて、どんな いたずらを してやろうかな?〉
にやにやしながら、まちへ やってきました。
きょろきょろ、とおりを あるいてゆくと、むこうから、ひとりの さむらいが やってきます。
ひげを はやし、かたを いからせ、えへん おほんと、いばりちらしています。
〈ようし、あの おさむらいを からかってやれ。〉
ひこいちは、さむらいに ちかづき、
ぎゅうっ!
おもいきり、ひげを ひっぱりました。
「あいたたっ!」
さむらいは びっくり。
「ぶ、ぶれいもの!」
かおを まっかにして どなりながら、あたりを みまわしました。
ところが、まわりには だれも いません。
さむらいは ひげを さすりながら、うろうろ、きょろきょろ。
この ようすが、いかにも おかしかったので、とおりがかりの ひとたちは くすくす わらいました。
こんどは、かねかしの きんべえさんが やってきました。
おかねの たくさん はいった はこを、だいじそうに かかえています。
〈よし、こんどは きんべえさんを からかってやろう。〉
ひこいちは、ひょいと はこを ひったくりました。
びっくりしたのは、きんべえさんです。
「あわわわ、おかねが とんでゆく!
こら まて、まってくれ!」
へっぴりごしで かけだしました。
まわりの ひとは、はらを かかえて おおわらいです。
「さあさあ、かっとくれ!
いきの いい たいだよ、ひらめだよ!
とれたばっかりで、まだ いきてるよ!」
いせいの よい かけごえは、さかなやさんです。
すると そのとき、
すうーっ……。
たいと ひらめが、そらに うきあがり、ぱたぱた おひれを うごかして、およぎだしたのです。
「うへえ!」
さかなやさんは めを しろくろさせ、こしを ぬかしてしまいました。
これも、ひこいちの しわざです。
〈ああ ゆかい、ゆかい。〉
ひこいちは、たのしくて しかたがありません。
やがて、ちゃみせの まえを とおりかかると、おきゃくが ふたり、えんだいに こしかけて、おだんごを たべています。
〈わあ、おいしそう!〉
ひこいちは、ふたりの おさらから 一ぽんずつ、おだんごを とって たべました。
「おや、一ぽん たりないぞ?」
「わしのも たりないぞ?」
ふたりの おきゃくは、どうじに かおを みあわせました。
「さては、おまえが たべたな!」
「なにを! おまえこそ、わしのを ぬすんだんだろう!」
「なんだと!」
とうとう、とっくみあいの けんかに なってしまいました。
〈ゆかい、ゆかい。こんな たのしいことは、うまれて はじめてだ。〉
ひこいちは にこにこしながら うちへかえると、かくれみのを ものおきに かくしておきました。
つぎのひ、ひこいちの るすに、おかあさんが ものおきの なかを かたづけていると、うすぎたない みのが でてきました。
「まあ、なんて きたならしい。」
まさか、てんぐの かくれみのとは きがつきません。
おかあさんは、かくれみのを たきびのなかへ ほうりこんでしまいました。
ちょうど そこへ、ひこいちが かえってきたのです。
「うわーいっ! だめだよ、それを もやしちゃ だめだーっ!」
あわてて、たきびの そばに かけよりましたが、もう まにあいません。
「あーあっ、もったいない……。」
ひこいちは、はいに なってしまった かくれみのを、うらめしそうに みていましたが、
「そうだ!」
なにを おもったのか、いきなり はだかに なると、
ぺたぺた、ぺたぺた……、
はいを、からだに ぬりはじめたのです。
すると どうでしょう!
はいを ぬった ところは、ぜんぶ みえなくなりました。
〈てんぐどんの たからものは、たいしたもんだ! はいに なっても、まだ ききめがあるぞ。〉
ひこいちは、また まちへ でかけました。
おおきな おみせの おくから、なにやら にぎやかな こえが きこえてきます。
〈なにを やってるのかな?〉
ひこいちが のぞいてみると、おくざしきでは えんかいの まっさいちゅうです。
「はあ めでたいな、めでたいな。」
きょうは、この みせの わかだんなが、およめさんを むかえた、おいわいの ひなのでした。
〈これは、よい ところに でくわした。〉
ひこいちは、ずらりと ならんだ ごちそうの やまを みながら、おもわず にっこりしました。
〈いただきます。〉
ぱくぱく、もぐもぐ、
もぐもぐ、ごくごく。
ひこいちが、むちゅうで たべたり のんだりしているうちに、くちの まわりに ぬってあった、はいが おちてしまいました。
「ややっ、くちの おばけだ!」
ひとびとが さわぎだしました。
さあ、たいへん!
〈しまった!〉
ひこいちは、あわてて そとに とびだしました。
「こら、まてーっ!」
「くちの おばけ、まてーっ!」
おおぜいの ひとが、おいかけてきます。
〈つかまったら たいへんだ、にげろ にげろ!〉
ひこいちは、すたこら にげだしました。
ところが そのとちゅう……。
いしに つまずいて、
ばしゃーんっ!
みずたまりに のめった ひょうしに、おへその まわりの はいが、おちてしまったのです。
「わあ、こんどは おへそが でてきたぞ!」
「くちと おへその おばけ、まてーっ!」
おいかけてくる ひとの かずは、だんだん ふえてきました。
ひこいちは、ひっしで にげます。
そのうち、ひこいちは はしりつづけで ふらふらに なってしまいました。
いきは、はあはあ。
あしは、がくがく。
〈もう、だめだ……。〉
あきらめかけたとき、ちょうど かわがありました。
〈そうだ! みずに もぐって にげよう。〉
ひこいちは、
ざぶーんっ!
みずに とびこみました。
みずに もぐった ひこいちは、ひっしに がんばりましたが、その いきぐるしさといったら ありません。
「ぷうーっ! くるしい!」
ついに、すいめんに かおを だしてしまいました。
「ややっ、おまえは ひこいちじゃないか!」
あつまった ひとたちは、びっくり。
「ごめんなさい……。」
はいが みずに ながされて、まるはだかになった ひこいちは、あたまを かきながら、わけを はなしました。
「なるほど、そうだったのか。」
「とんちひこいちでも、たまには いたずらしたいときが あるんだね。」
「だが これからは、そんな いたずらは やめておくれよ。」
みんなは、わらいながら いいました。