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源義経 1/5

兄と平氏を討つちかい

イラスト 「わたくしは、頼朝どのの弟の義経です。平氏と戦うために、奥州平泉(岩手県)からかけつけました。ぜひ、兄上に会わせてください」

 1180年の秋のことです。富士川の戦いで平氏をやぶった源頼朝の陣へ、ひとりの、りりしい若者がたずねてきました。しかし、頼朝の家来たちは、義経のことをまったく知りませんでした。そのため、義経を敵ではないかとうたがい、頼朝に会わせようとはしませんでした。

 「子どものころの名は、牛若です」

 義経の大きな声は、奥にいる頼朝にとどきました。

 やがて、義経は、頼朝のまえにとおされました。まだ一度も会ったことはありません。でも、母親はちがっても、血を分けた兄です。

 「亡き父上に、お会いできたような気がいたします」

 「おお、牛若か、よくかけつけてくれた」

 義経は、兄のやさしい声を聞くと、熱いなみだを流しました。そして、兄といっしょに力をあわせて平氏を討ち、平氏に殺された父や上のふたりの兄のかたきを討つことを、心にちかいました。

 幼いころの名を牛若といった源義経は、1159年に京都で生まれました。父は、源氏の大将、源義朝です。

 しかし、義朝は、牛若が生まれたつぎの年に、平氏と争った平治の乱にやぶれて殺されてしまいました。そしてこのとき、父といっしょだった義平、朝長、頼朝の3人の兄のうち、義平、朝長も命をおとし、12歳の頼朝は伊豆へ流されてしまいました。

 源氏がやぶれたことを京で知った母の常盤は、手もとで育てていた幼い3人の子といっしょに京からのがれました。3人の子は、今若、乙若、牛若です。

 ところが、まもなく常盤は、年老いた母が平氏にとらえられたことを知りました。自分たちが、いつまでもかくれていると、母が殺されてしまうかもしれません。常盤は、子どもたちをつれて、平氏の大将平清盛のもとへ行きました。

 「わたしは、どうなってもかまいません。どうか、年老いた母と、幼い子どもだけは助けてください」

 常盤は、なみだを流しながら、清盛にたのみました。すると、清盛は、常盤のたのみを聞きいれました。しかし、そのかわりに常盤は、心のなかではにくくてしかたがない清盛に、つかえなければなりませんでした。また、今若と乙若はべつべつの寺へ送られ、牛若も、6歳をすぎたら寺へあずけられることになってしまいました。源氏がふたたび力をもり返すことをおそれた清盛に「今若も乙若も牛若も武士になってはならぬ」と、いいわたされたのです。


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